バスでのできごと

昨年11月に拠点を都内から埼玉に戻してから、移動にときどきバスを使うようになりました。私の日々は週の半分くらいが在宅ワークなので、電車にもそれほどたくさん乘るわけではないのですが、ますます電車から足が遠のきそうなほど、今後はバスをうまく活用したいなぁと思い始めています(もちろん行き先によるのですが)。

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先週、ある日のバス移動でのこと。平日の午後だったので乗客も少なく、二人掛けの席の窓側に、私はひとりでゆったりと座っていました。しばらく行ったところのある停留所から、多くの人がどどっと乗車、相席を余儀なくされることになりました。私の隣には、ランドセルを背負ってトートバックを提げた、制服姿の小学校低学年らしき女の子がやって来ました。そういえばこの日は世間的に新学期がスタートする日であることを思い出し、始業式帰りかな、小さいのにひとりでバスに乗れてすごいなぁと思いました。彼女は座る前に私の顔をじいっと見つめ、その真剣な顔から(すわっていいですか)という妄想吹き出しが浮かんで出た気がしてなんだか可笑しく、こちらは声に出して「ここ、どうぞ」と言いました。彼女は無言のまま、そこに腰を下ろしました。

バスが再び動き出すと、彼女はキッズ携帯と呼ばれそうな小さな端末を取り出し、慣れた手つきでメッセージを打ち始めました。(いまバスにのったよ)とか、おうちの人に送ってるのかなと思いました。私からの関心を感じ取ったのか、メッセージを打ち終わった彼女は、またじいっと真剣な顔で私を見つめてきました。にこりともしない彼女は、もしかしたら私を警戒していたのかもしれず、(なんですか)という吹き出しがまた浮かんで見えました。私はつい、「今日は始業式だったの?どこまで行くの?」と尋ねようとして逡巡したのち、口をつぐむことを選んで、目線を彼女から前方へ移しました。ますます警戒されてしまうのではないかと、咄嗟に思ったからでした。彼女は知らない人と話しちゃいけないよという教えを、守っているのかもしれませんし、あるいは私は彼女のおしゃべり相手にはふさわしくないのかもしれません。そこで不意に、ホーチミンでのバスの様子を思い出しました。

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ホーチミン暮らしの頃、私は基本的に移動にバイクを使っていて、それでも時々は、市内唯一の公共交通機関である路線バスに乗っていました。この路線バスには、多くの場合運転手さんの他に車掌さんがいて、席についた乗客のところまでやってきて運賃を徴収します。降りる停留所の場所に自信がないときなんかは、このタイミングで車掌さんに行き先を伝えておくと、最寄りの停留所が近づいたときに声をかけてくれることがほとんどでした。また、私が外国人で珍しいからかもしれません、車内で相席になった人からは話しかけられることがよくありました。「あなた何人?どこ行くの?」から始まり、「名前は?」「年齢は?」「ホーチミンにはどれくらい住んでいるの?」「ベトナム語は難しい?」「結婚は?」といった質問を矢継ぎ早に投げかけられ、一通り答え、こちらも負けじと似たような質問をし返したあとには、お互いに初対面とは思えないほど、相手のパーソナルデータを把握しているという不思議な状況が生まれていました。目的地が近づいて車掌さんが声をかけに来てくれると心の準備をし、いよいよ降りるぞという段になってからは大声で、「降りまーーーす!!」と叫びます。日本のバスのように車内にブザーがあるわけではないので、運転手さんにお知らせしないと通過されてしまいそうになるのです(親切な車掌さんが、運転手さんに伝えてくれる場合もあるのですが)。

こんな風にホーチミンのバスでは、終始無言でいさせてくれることは滅多にありませんでした。正確な時刻表も、便利なICカードも、次の停留所を案内するアナウンスもありません(ここ数年の新しい車両ではアナウンスを聞きました)。でもその分、そこに居合わせた人たちとのコミュニケーションによって、つまり“話す”という行為によっていろいろな情報を得て、時に助けてもらい、時に自己紹介をしながら、私は最後にはいつも、きちんと自分の目的地に到着することができていました。単なる物理的な移動以外の濃密な時間が、ホーチミンのバスにはあったように思います。その分、不便だなぁ、難しいなぁ、面倒だなぁと思うことも当然ありましたが、だからと言って嫌な気持ちにはなりませんでした。

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久しぶりに日本の、東京や埼玉のバスに揺られ、小さな女の子にじいっと見つめられながらふと、「だけど別に、どっちがいいとか悪いとかじゃないよな」と思いました。こちらのバスのほうが時間に正確で便利だからいいとか、あちらのバスのほうが人とのコミュケーションを大切にしていていいとか、比較するものではないような気がします。そこには人々が長い間かけて構築してきたシステムがあって、営みがあって、ただその形態がお互いに異なるだけなのだ、と。あまりまとまりのない感想なのですが、なんだか久しぶりに、“ただ、違うだけなのだ” ということを考えた、そんなバスでの時間でした。

女の子よりも先にバスを降りることになった私はブザーを鳴らし、彼女に「次降りるから、そっちに出るね」と伝えました。バスが停留所に到着すると、彼女はささっと席を立って私を通してくれました。「ありがとう」と笑ってみせましたが、彼女は最後まで一言も発さず、表情も崩さず、ひたすらに私の顔をじいっと見つめていました。妄想吹き出しは最後には登場してくれませんでしたが、彼女が胸の内で(ばいばい)と言ってくれたことを勝手に願って、私は一足先にバスを降りました。バスでのそんな出来事の、備忘録。

From Hem

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