9/4 研修4日目~友人との再会~

研修グループがホーチミンにやって来てから初めての、終日ほぼフリーな日。学生さんたちが自分の調査テーマに基づいてそれぞれの活動をする。私は午前にひとり、午後にひとり、ホーチミンに住むベトナム人の友人に会った。どちらも学生さんの調査に協力してくれる人だった。

・午前、Hちゃん。彼女のことは一度このブログでも紹介したことがある(こちら)。一年間の東京留学を終え、今年3月末にホーチミンに戻った。その後もメールのやりとりを続けていたのでお互いの近況はなんとなく知っていたし、久しぶりとはいえ半年しか間が空いてなかったのに、顔を合わせた瞬間に泣きそうになった。彼女が元気でいることが嬉しかった。学生さんのヒアリングにも、とても真摯に丁寧に答えてくれた。

・Hちゃんは私よりも少し年下だ。ベトナム語の慣習から言えば「Chị」と「Em」の関係だが、出会った頃から彼女は私を「Yukiちゃん」と呼び、私も彼女をやはり「ちゃん」付けで呼ぶ。思えば一度も本来の二人称を使ったことがない。彼女が日本語を話すというのも大きく影響しているだろうけれど、そういう友人は珍しい。

・ヒアリングを終え、Hちゃんとお母さんが用意してくれたお昼ご飯をいただく。ベトナム料理は何を食べても本当に美味しいけれど、「おうちのごはんが一番美味しい」と再確認。Hちゃんの口癖は「遠慮しないでもっと食べて」。もはや遠慮をする仲でもないのだが、彼女はお客さんが自然な様子で寛いで、たくさん食べてくれることがとても嬉しいらしい。「Cứ tự nhiên」(自然にしてね)というフレーズはお宅訪問のたびに耳にするが、Hちゃん以上に使う人は私の周りにはいない。

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・ところで私は動物が全般的に苦手である。Hちゃんちに犬がいることをすっかり忘れていたが、この日はHちゃんとの再会の喜びもあり犬への苦手意識を若干克服した。「Ngồi xuống!」 (座れ)、「Bắt tay!」(お手)などの日本語でも発したことのほとんどない指令をベトナム語で出した。犬にはちゃんと伝わった、ような気がする。「Sủa」(吠える)という新しい単語も学んだ。

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・午後、Jさん。英語、日本語、フランス語、中国語に長け、人とのコミュニケーションが好きだというご自身の特性を活かし、長年この地で旅行会社を営んでいる。Jさんとは2009年に私がこの地に暮らし始めたときからのお付き合い。最初は仕事を通じての出会いだったが(シェラトンホテルの高級感溢れるロビーに呼び出され打ち合わせをした時の緊張感をよく覚えている)、その後はプライベートでの交流が続くようになった。

・ガイドとしての仕事に従事しているときのJさんは、あまりぐいぐいとお客さんを引っ張ることはせず、とてもさりげなく丁寧な気配りを見せる。正装なのに、トレードマークにいつも麦わら帽子を携える。一度その不思議を尋ねたことがあったが、「麦わら帽子を持っていればお客さんは私のことが印象づくでしょう、自由行動後の再集合のときに私を見つけやすくなります」と仰っていた。プロとしてのその姿勢が強く印象に残っている。

・この日は仕事モードではなく、休日の、ゆったり過ごしている合間に時間を作ってくれた。プライベートモードのJさんはとても気さくな、ユーモアに満ちたおじ様だ。「J節」とでも呼べるようなジョークも格言もバンバン炸裂。でも決して押しつけがましい感じじゃないから、聞いているこっちもとてもリラックスできる。海パンのような派手な半ズボンを履いていた。「いつもこうじゃないですからね~!」と学生さんに言い訳しているJさんが、なんだか可愛らしかった。

・Jさんは私のことを日本語では「Kimuraさん」と呼び、ベトナム語では「bạn」(同年代の相手に使う二人称)と呼ぶ。40代半ばのJさんは、私にとっては「Chú」(おじさんにあたる二人称)または「anh」(お兄さんにあたる二人称)が妥当で、私は親しみを込めて「anh」と呼んでいる。彼にとっての私も同様に「con」(娘にあたる二人称)か「em」(妹にあたる二人称)が使われるのが通例だと思うのだが、彼は決して私をそうは呼ばない。「Kimuraさんは私の友達ですから」と幾度となく言ってくれるその笑顔に、私がどれだけ感謝の気持ちを覚えているか、彼には伝わっているだろうか。

本来の二人称を使わない特別な友人たちとの再会。だから私はまたこの地を訪れたい。

ちなみにこの日は、Jさんのおすすめのカフェが店を畳んでしまっていたために急きょその近くのマクドナルドで会うことになった。注文したアメリカンコーヒーは日本のコンビニで売られている百円コーヒーのような味だった。もちろんこれはこれで嫌いではないが、この地ではカフェスアダーを飲んでいたい。

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9/3 研修3日目~フィルターになる勇気~

戦争証跡博物館と、博物館がかかわるお寺への訪問。

・博物館の館長さんからお話を聞く。主に博物館の成り立ち、来客状況、伝えたいメッセージ、ご自身の戦争体験、現代を生きる国内外の若者へ願うこと、など。隣に座らせていただき逐次通訳を行う。博物館からのメッセージとして、冒頭に館長さんが「戦争の『Tội ác』を伝えたい」と仰った。すぐに漢字由来で【罪悪】とわかったものの、そのまま「ザイアク」と言って聞く人にすんなり届くだろうかと一瞬迷い、最初は「戦争の痕跡」と訳してしまった。でも何かが違う、このままではいけないような気がする…と思いながら通訳を続けていると、再び「Tội ác」が登場。今度は「罪と悪」と訳した。ここから先も何度か出たが、「罪と悪」を選び続けた。博物館、そして館長さんが非常に大事にしている単語だと思った。人々は「罪と悪」をしっかり認識してこそ平和を希求できるのだ、とも仰っていたのが印象的だった。

・通訳を通して行われる話は、どうしても通訳者のフィルターが一枚存在することになる。通訳をしながら、私はきちんと館長さんの想いを伝えることができているのだろうか、上記のように、他にもむやみに言葉が変えてしまっていないだろうかと自問自答していた。怖かった。でも、私というフィルターをなくすことは到底できない。フィルターになるのを怖がっていては通訳はできない。通訳の仕事を始めたころ、「最良の郵便屋さんになりたい」と思っていた。でもこの日、それは違うと思った。お届け物を、こちらからあちらへと形そのまま正確に丁寧に送ることは、通訳者にはできないのだ。言語を変えるのだから、お届け物の形は必ず変わる。「フィルターになる恐怖を、フィルターになる勇気へ」。まるで何かの標語のようで恥ずかしいが、そんなことを考える機会になった。館長さんに心から感謝しています。

・お寺へ。初めて足を運ぶ場所だった。さまざまな理由から孤児になった子どもたちが200名近く暮らす施設を併設。子どもたちのなかには、障がいがある子もない子もいる。障がいのある子のなかには、枯葉剤の後遺症による障がいだと認定される、あるいは推定される子も多い(認定と推定では国から補助が出るか出ないかという大きな差がある)。ここにいるそういった枯葉剤被害者である子どもたちの写真を撮影し館内に展示している関係で、博物館は私たちのような訪問客にこのお寺を紹介しているという。確かに写真で見たことのある子どもたちがベッドに寝ている姿を見た。写真と実際とを見るのは、やはり衝撃に違いがあった。

・施設内を案内してくれた僧侶の方が、「Trẻ em khuyết tật」(障がい児)と「Trẻ em bình thường」(健常児)という単語を使っていた。共通の「Trẻ em」は「子ども」だが、後者の「bình thường」は漢字由来で【平常】、つまり「普通」とか「通常」という意味で使われる。この場合、二つの単語の比較から「健常児」と訳せばいいのかもしれない、でも私は「普通/通常の子ども」って一体何だろう…と非常に悶々としてしまった。結果「障がいのない子ども」という訳語を当てた。これでよかったのか、やはりわからない。ニュアンスを変えてしまっているようにも思う。明らかに私という人間の好みというか、常日頃から「普通」という単語を嫌う傾向が介在していることを自覚した。ひとこと、「ベトナム語では『普通の子ども』という言い方をしますが、私はあえて『障がいのない子ども』と言います」と説明をすればよかったと反省している。さしづめフィルターになる宣言、とでもいうのだろうか…。ちなみに「khuyết tật」は【欠疾】という漢字が当てはまる。日本語に訳すときは「障がい」とするのが一般的だが、やはりこれも悩ましい。ベトナム語云々ではなく、私が普段から「普通って何?障がいって何?」という問題に悶々としているからなのだと思う。

・僧侶の方が、お寺を案内しながら仏教思想やそれに基づく建物の装飾等についても軽く説明してくださった。自分の仏教への理解が乏しいために充分な通訳ができなかった。「相手の発した言葉が私で止まってしまう」という状況に自分で腹立たしかった。まるで依頼主の送った荷物が郵便局で止まってしまい、いつまで経っても送付先へお届けできないように。ベトナムへの理解、母語である日本語への深い理解、そして、教養。努力を惜しんではならないと自戒した。

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この日唯一撮影したお寺の写真。自分の通訳にひっかかりを覚えたことは、ずっと頭にこびりついて離れない。でも、これを生業としているのだから、そうしたひっかかりを忘れずに、糧にして生きていくしかない。そう思う。

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今日のベトナム語・スターアップルとワニと鮫

前の投稿でタオダン公園の朝カフェに行ったことを書きましたが、タオダン公園には背の高い大きな木がたくさん植えられています。そのなかにVú sữa (ヴー・ス~ア)の木がありました。もしかして初めて見たかも、というか今まで何度も行っている場所なのに全然気がつかなかったなぁと思い、ついパチリ。

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これは英語でStar Appleと呼ばれる果物で、=「乳房」、 sữa=「ミルク」という意味。なかなか面白いネーミングでその食べ方(揉んでから吸うのです、カットする人も多いけど)にもインパクトがあるからか、いくつかのベトナム紹介サイト(日本語)でも紹介されていました。こちらとか。実が成っていなかったのは時期外れだったからのよう。

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話は全く変わりますが、これを書いている今は、おっそろしい夢を見て汗だくで飛び起き、一瞬自分がどこにいるのかわからないような感覚に陥って、とっても眠いのに眠れない……そんな今、です。朝起きて夢を覚えていることは普段ほとんどないけれど、たまに見るそれらはおっそろしいものが多く、強烈な脳内映像と後味の悪さを残します。夢の内容をすべて書くのは憚られるけれど、一場面だけ記録しておくと、いくつかのアパートを内見している私。いちばん最後に行った賃貸アパートのドアを開けたら日本語が片言の大家さんがいて、「さぁどうぞ」と通された部屋は、まさかのワニと鮫がうようよと泳ぐ池。不意にその池に突き落とされてワニと鮫の間を流れるプールのごとくスルスル進み、ぐるんと一周して地上(床の上?)に上がると「我が家はどうですか?」とニッコリ大家さん。ホラーです(笑)

そんなこんなでもう寝付けない私、ふと、あれ、「ワニ」と「鮫」ってベトナム語で何だっけ…と辞書を引き引き(笑)

「ワニ」= Cá sấu (カー・サウ)

「鮫」= Cá mập (カー・マップ)

で、ございました。は「魚」の総称で、その直後にもう一つ別の単語をくっつけて二単語で具体的な名前を表します。魚の種類を表すベトナム語の単語、お恥ずかしながら、実はめっぽう弱くて毎回まごつくのですが、それは私が日本語でも魚の種類に疎いからなのを自覚しています。つくづく、日本語で知らない単語をベトナム語で覚えることは困難だなぁと思います。前にも書いたような気がしますが、結局のところ、自分がいかにベトナム語を知っているかではなくいかに日本語を知っているか、が肝要なのだと。

余談ですが、寝ている間に見る「夢」はgiấc mơ (ヤック・モー)、将来の夢という場合の「夢」 はước mơ (ウック・モー)と区別することもついでに思い出しました。しらばくはどちらも考えないでいたいかも…なんて。

あれ、そういえばワニって魚の仲間?

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9/2 研修2日目~国慶節~

今日はベトナムの国慶節(建国記念日)。1945年9月2日に故ホー・チ・ミン主席がハノイのバーデン広場で「独立宣言」を読み上げ、フランスと日本の統治支配からの独立を発表しました(しかし独立は国際社会に認められず、抗米戦争にも突入し、その後30年ベトナムは戦場となり続けます)。

この日を記念して、9月2日はベトナムでは数少ない祝日となっています。金曜日にあたる今年は土日と合わせて公的機関も三連休となっており、街はお休みモード。閉まっているお店もあるけれど、朝に立ち寄った1区タオダン公園は、コーヒーを飲む人、運動をする人、ベンチに座っておしゃべりをする人、ピクニックをする人で、お休みの日らしく多くの人で賑わっていました。

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タオダン公園の一角に、毎日朝の時間だけプラスチックの椅子とパラソルが置かれてカフェとなります。「鳥カフェ」なんて呼ぶ人も多いのは、自宅で飼っている鳥を籠ごと持ってきてカフェの一角に 吊るし、コーヒーを飲みながら観賞できるから。以前隣り合ったお客さんの話では、鳥を開放的な気持ちにさせてあげることに加え、自分の鳥(と鳥籠)を自慢したいというのも理由なんだとか(鳥の良し悪しは私にはわかりませんが、確かに竹細工の鳥籠はとても美しいです)。鳥のさえずり(たくさんいるのでけっこう大音量ですが)を聴きながらゆっくりとコーヒーを飲み、おしゃべりに花を咲かせる。私の大好きなホーチミンの朝の過ごし方です。

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研修グループの皆さんと朝カフェでのんびりした後は、タオダン公園の裏手にある統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)近辺を散策しました。統一会堂に見学に来ているバスが何台もありました。私が気になったのは、周辺にたくさん掲げられた看板。どれも今日9月2日に関するものでした。これについては「看板紹介」のページでまたあらためてご紹介できればと思うので、ここでは写真だけ掲載しておきます。

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その後は、路線バス実践ということで目的地をサイゴン駅に決め、出発。30番のバスに乗ってサイゴン駅の近くで降り、路地を歩いて抜けると駅に到着。この路地、とても細くて狭かったのですが、民家がひしめき合っていて、その開け放たれた扉からは人々の暮らしが垣間見えていました。逆にジロジロと見られる、目立つ外国人の私たち。お邪魔してますという気持ちで歩いていましたが、サイゴン駅に行くんだと言うとどの人も丁寧に教えてくれました。そしてこの路地では、やはり国慶節らしくどの家でも国旗が掲げられていました。密集した家々に、たなびく赤い国旗。こうした光景はホーチミンでは一年で何度かしか見られないため、束の間の移動でしたが、とても貴重な様子を見学させてもらいました。

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一年前のこの日も私は同じ研修でホーチミンに滞在していて、せっかくだからと故ホー・チ・ミン主席の独立宣言を翻訳してみました(本サイトの「勝手に翻訳シリーズ」ページに掲載しています)。まだまだ改良点はあると思いますが、ご興味のある方にご覧いただけるととても嬉しいです。こちら→「Tuyên ngôn độc lập/独立宣言」

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9/1 研修スタート~姉で妹で子どもでおばさんな私~

前日に埼玉にいる母からメッセージが届いた。「明日から2学期です」(母は教育機関に勤めています)。わかってはいたけれど、9月が始まるという事実に驚く。

と同時に、4月から毎週かかわってきた母校の研修グループがホーチミンにやって来た。朝5時にタンソン二ャット空港で出迎え。私は空港の出迎えが好きだ。待つのは疲労感もあるけれど、なんだかすごくワクワクする。空港に漂う人々の高揚感が好きなのかもしれない。待つほうも、降り立つほうも、楽しみと不安を同時に抱えている。ちなみにベトナム語では「空港に行く」というのを「Tôi đi sân bay.」ではなく「Tôi ra sân bay.」と言う。đi(ディー)=「行く」でも十分通じるが、実際にはra(ラー)=「出る」という動詞を使う。raは建物の内側から外側に出ていくときにも当然使うが、それ以外にも″その先に広がりを感じる場所に行く″ときにも使われるという(なので空港と同様にga(ガー)=「駅」やbiển(ビェ~ン)=「海」なんかに行くときにも使う、海は特にロマンを感じる)。空港は″その先の広がり″を感じるにはうってつけの場所。私がワクワクする理由もその辺にあるのかもしれないと思っている。

そして、単純に研修グループがホーチミンに到着することが嬉しかった。早く再会して、一緒にホーチミンの街を歩きたかった。研修の詳細はここでは書かないけれども、今日、東京からやって来た大学生の皆さんと行動を共にして私があらためてここで感じたことを、綴ってみようと思う。特に言葉のこと。

今日、たくさんのベトナム語に触れた。ベトナムにいるのだから当たり前なのだけれど、東京ではなかなかできることではないから嬉しくなる。自分でもびっくりするくらい、たくさんのベトナム語を発し、たくさんのベトナム語を聞いた。バスのドライバーさん、カフェの店員さん、研修メンバーが入る宿舎の大家さんたち、両替所のおばちゃん、庶民食堂の店員さん、自転車を乗りこなせない少年(危うく激突されそうだった)、などなど。それだけ多くの人とかかわる一日だったということなのだけれど、多くの人と接すれば接するほど、この地では「私」が変化する。これは精神的な意味ではなく、ベトナム語の人称代名詞の問題だ。ある人の前では私は「em」になり、また別の人の前では「chị」になる。今日は「con」にもなり「」にも、名前の「Yuki」にもなった。そして「私」(一人称)を変えるのと同様に「あなた」(二人称)も変わる。その都度相手と自分との年齢差や立場の差を考え、判断をしながら「私」と「あなた」を変える。お恥ずかしながら、未だによく間違える。「違う」と思った瞬間には口は勝手に動いていて、「chị」と言うべきところで「em」と発してしまったりする。外国人なので相手は大概大目に見てくれるし(笑われることも多いが)、私も次の文章ではすぐに訂正する。ベトナム語って人称代名詞が多いから大変だよなぁと痛感する一方、その語彙の豊かさと、相手との関係性を重んじるベトナムの人々の在り方に少し触れられたような気がして喜ぶ自分もいる。

それから、ベトナム語をやってきて本当に良かったと思うことがある。それは、相手の口調や選択する語彙の違いを知ることができ、それによって「同じ人はいない」のを実感できること。HauちゃんとHaちゃんは全然違う話し方をするし、QuynhさんとBinhさんは単語のチョイスが異なる。それは日本人だってベトナム人だって何人だって当たり前のことなのに、ふとしたときに、私はそんな当たり前のことを忘れてしまいそうになる。そんな自分がこわくなる。「日本人」や「ベトナム人」とくくってしまうことの危うさ。その人はその人でしかなく、だからこそひとりひとりが尊い存在なのだということを、私はベトナム語の勉強を通して教えてもらった。これは、この研修でも大事にしてきた、大事にしていき続けたいことだ。

ふとそんなことを考えた初日。珍しくスコールの降らない本当に暑い一日だった。たくさん歩いて汗をダラダラ流した分、カフェスアダーを何杯も飲んでしまった(でも好きだからいいのだ)。明日はいよいよ建国記念日。

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