「知っていただきたいからです」

先日お仕事で、サポート通訳をしてきました。以前このブログ内で紹介させていただいた、文化庁と日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が主催の実演芸術で世界とつながる~アジアのオーケストラの事例からというシンポジウムで、ベトナムとミャンマーからゲストがやって来るものでした。ベトナムのゲストはホーチミンバレエ・オペラ交響楽団の指揮者Tran Vuong Thachさんと事務局長Nguyen Manh Duy Linhさん、ミャンマーからはミャンマー国営ラジオTV交響楽団のお二人でした。会全体は英語の同時通訳が付いており、両国のゲストも英語ができる方々だったので、本当にサポートとして、ゲストが自分たちの国の言語で話す必要があるときにのみ通訳を行うという立場で従事していました。ベトナム語が私、もうおひとり、ビルマ語通訳の日本人の方が同じ立場でいらしていました(久しぶりにビルマ語を間近で聴けたことに胸が躍りました。ミンガラバー!)。

第一部のゲストによるプレゼンテーションはどちらの国のゲストも英語で行われる(その都度日本語へと同時通訳される)ことになっていたため、われわれは待機。第二部の日本人ゲストとのディスカッションが、英語になるかベトナム語(あるいはビルマ語)になるか、どっちかな…という部分でした。開始前の打ち合わせの際、私が付くThachさんは、「基本は英語でやろうと思うけど、説明しにくい箇所や話が複雑になってしまったらベトナム語にするので、そのときはよろしくね」と言われており、私もその心づもりでいました。ただ、長年欧州で暮らしていた方で英語も堪能なことがわかったので、私の出番はなさそうだなと内心思っていました。

第二部がスタートする直前、Thachさんから「折角あなたがいるから、全部ベトナム語でいくよ」と耳打ちされました。急な申し出に少々たじろぎつつも有り難い気持ちが込み上げ、気合いを入れて臨みました。進行役の方、他のパネリストの方(すべて日本人)ととも舞台に並ぶゲストのお二人、そのすぐ横に私は控えていました(ミャンマーのゲストや通訳さんはこの後の別のディスカッションに登壇)。

この会全体を通してオーケストラ関連のさまざまな話が語られ、印象深いトピックはもちろんたくさんあるのですが、私はこのディスカッションの冒頭、Thachさんに話す順番が回ってきたときの、彼の第一声が忘れられないでいます。マイクを手にした彼はこう言いました。

「ここからはベトナム語で話すことをお許しください。理由は二つあります。一つは、ベトナム語のほうが私が話しやすいからです。もう一つは、今日ここにいる皆さんにベトナム語がどんな言語か、実際に聞いて、知っていただきたいからです」

終始にこやかな笑顔でした。もしかしたら彼なりのジョークというか、聴衆の皆さんを和ませる意図もあったのかもしれませんが、私は彼のこの第一声が、これを書いている今でも頭からずっと離れないでいます。

確かに今日この会場にいる人は、私以外彼のベトナム語を聞いていなくて。きっと多くの方は、ベトナム語自体を聞いたこともなくて。このまま英語で終えることもできるけれど、でもあえて「聞いてください」という彼は、なんて素敵なんだろうと思いました。自分自身がどんな人間か、どんな言語を話す人間か、それを知らせることにより、彼の語るベトナムのオーケストラ事情や芸術分野の背景といった内容にもより深みが増すような、そんな感覚が湧いてきました。通訳中は夢中でしたが、その後落ち着いてから、私はこれまでの人生のなかで、「私の日本語を聞いてください、日本語がどんな言語かを知ってほしいからです」という気持ちで言葉を発してきたことがあっただろうかと思い返してみました。唯一、ホーチミン暮らしの時にアルバイトしていた日本語学校の授業中に、ベトナム人学生たちに対してはかなり意識して日本語を話していましたが、そこには教育的な意図があったわけで、素直な「聞いてください」という気持ちがあったかというと、今回の彼の発言とは性質の違うものだったように思えてきてしまいます。

国際交流の第一歩は、「自分が何者かを伝える」ことから始まるんじゃないかと常々感じていましたが、その在り様をすぐ隣で見せていただいた、そんな貴重な体験でした。

Thachさんが出会ったばかりの私を信頼してくださったこと、登壇前に「あなたがいるから」と言ってくださったこと。私はこれから先も忘れないと思います。聴衆の耳に直接届く彼のベトナム語の、その内容は私が代わりに必ず届けようと、私なりに精いっぱいの気持ちを込められた時間でした。素敵なことを教えてくれた彼に、心から感謝しています。

ところで、今回のThachさん、Linhさんとは直接お会いするのは初めてでしたが、実はホーチミンに暮らしていた間、私はお二人が所属するホーチミンバレエ・オペラ交響楽団の公演をオペラハウスで見たことがありました。演目はバレエ「くるみ割り人形」で、オーケストラを指揮するThachさんの姿もお見かけしていました。シンポ当日、顔合わせのときにこのことを伝えたらお二人ともとても喜んでくださって、私も嬉しくなったという出来事がありました。ご縁は本当にどこでどう繋がるものかわからず、不思議で、そして、尊いです。

(2016年10月20日、内容一部修正・追記済み)

From Hem

十月の装丁

気づけば10月。時の流れの速さに驚きます、と、毎月言っているような気がします。10月は好きな月。夏から秋に移りゆく季節が、一年でいちばん心地よいです。ホーチミン暮らしをしていたころ、10月になっても安定して暑いにもかかわらず、内面的には不思議と秋の愁いを感じていました。唯一ちょっと日本が恋しくなるのがこの時期でした。

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今朝、めずらしく散歩へ。5時に家を出たら、なんともお空がきれいな予感。近所の、まだ多くの店がシャッターが閉めたままの商店街を歩きます。人影もほとんどなくて、24時間営業のコンビニの以外に、肉屋さんと魚屋さんには灯りがついていました。寿司屋さんの前からはお酢の香りが漂って、新聞配達のお兄さんが自転車で駆けてゆきました。住んで1年半近くなる土地の、ほぼ毎日通る商店街なのに、早朝の様子を知らなかったことに気づきました。

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だんだん空が明るくなってきて、帰宅した6時頃には、まるで何かのご褒美みたいな朝焼けが。今日はもうこれだけで、きっといい一日。と思ってしまう単純な私です。10月はやっぱり、好きな季節です。

ちなみにタイトルは大好きなharuka nakamuraさんの「四月の装丁」になぞらえて。素敵な曲名だなぁと思っています。彼の音楽は10月が似合うなと、今朝も散歩しながら聴いていました。「四月の装丁」はネット上では聴けないようなので、同じアルバム『音楽のある風景』に入っている「音楽のある風景」を貼りつけておきます。こちらもヘビロテです。

From Hem