今日のベトナム語~三密

新型コロナウイルスの流行により、今まで存在しなかったいくつかの新しい言葉が、すっかり私たちの生活に浸透しています。「三密」もそのひとつ。

日本政府をはじめ、全国のあらゆる自治体がそれぞれの形で「三密」状況を避けるよう呼びかけていましたが、特に外国人住民の多い自治体では、これを多言語で展開していました。ベトナム語ではどんな表現になるのだろう?と、いくつかの自治体のウェブサイトを閲覧しましたが、訳者さんによって表現はさまざま。生まれたばかりの日本語なのですから、それも当然のことですね。

そんななかでも、自治体に限らず民間の企業や学校、個人の発信などに目を広げると、少なくとも「密閉」「密集」「密接」の3語に関しては、一定の訳語が徐々に定着してきているのかな?という傾向を感じました。私自身もとても勉強になりましたので、下記にご紹介します。日本語は厚労省発表のもの、ベトナム語はホーチミンにある未来日本語学校 Facebookページ(2020年4月8日付の投稿)をそれぞれ参考にしつつ、私のほうで少しアレンジしてあります。

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3つの密を避けましょう

Tránh 3 chữ MẬT (TAM MẬT)

①密閉

Mật bế

換気の悪い空間を避ける。

Tránh nơi thiếu thoáng khí.

②密集

Mật tập

多数が集まる場所を避ける。

Tránh nơi đông người tập trung.

③密接

Mật tiếp

間近で会話や発声をする場面を避ける。

Tránh nơi phải tiếp xúc gần để trò chuyện hay nói to.

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ポイントは「密」を mật(マッ)という漢越語で置き換えている点。これはベトナム語に漢字由来の単語が多く、日本語との類似性があるからこそできる訳し方だと思います。

From Hem

今日のベトナム語~男の子と女の子

先日、ベトナム人の同僚と家族にまつわるあれこれを話していたときに、教えてもらった表現。

“Có nếp có tẻ”

(コー) は「ある、いる、持つ」、nếp (ネッ)または gạo nếp(ガオネッ)は「もち米」、tẻ(テー)または gạo tẻ(ガオテー) は「うるち米」を意味する単語で、直訳すると「もち米があり、うるち米もある」。

これは「息子と娘がひとりずついる」ことを表していて、その同僚いわく、ベトナム人にとっては理想とされる家族構成とのこと。con trai(コンチャーイ)「息子」や con gái(コンガーイ)「娘」という単語があるのに、あえてお米で表しちゃうのが面白い。Lさんありがとう、勉強になりました。

From Hem

 

通訳の仕事

先日見かけた松ぼっくり。ベトナム語で何と言うかわからず後日友人に聞いたら、Quả thông(クワ―トン)だと教えてくれた。

7月に入ってからというもの、通訳依頼が急増している。お声がけいただけること、お仕事があることのありがたさを感じながら、同時に複雑な気持ちにもなっている。ここで詳しくは書けないけれど、私が主に請け負っている通訳業務は、「困っているベトナムの人々」を対象にしているからだ。どう困っているのかはその人の立場や事情によって全く異なるし、「困り事」を招いてしまった要因はベトナム人当事者にもある。またその背景には、言葉の壁や、日本とベトナムの文化習慣の違い、それによる相互の誤解もあるだろう。一方で、彼らベトナム人を受け入れている側、つまり企業だったり学校だったり、仲介業者だったり個人だったり、ベトナム人を取り巻く日本側にもさまざまな問題があって、そうした問題を要因として「困り事」が起きてしまったケースも少なくなく、とても、やるせない。先日NHKで、日本で重病にかかったり、亡くなってしまったベトナム人技能実習生を取り上げた番組を放送していたのを見て、やるせない気持ちは増大した。

◆NHKスペシャル「夢をつかみにきたけれど ルポ・外国人労働者150万人時代」

私にできることは何だろうかと、そればかりを考えている。少なくとも今の私は、通訳者として彼らに接する機会を得て、対峙している。通訳者ができることは何だろうか。それはいつだって、目の前で展開するベトナム語や日本語を正確に、誠実に訳すことだ。昨日、別の仕事で出会った人から「通訳者として気を付けていることは何ですか?」と質問された。すぐに「ごまかさないことです」と答えていた。もちろん、プロとして気を付けるべきことは、専門知識や技術的なこと、態度的なことなど、他にもたくさんあると思う。でも、たぶん私の根源にある優先すべきことは「ごまかさない」なのだ。人の紡ぐ言葉を大切にしたいという気持ちは、この道に進もうと決めたときから変わらない。何をどう話すのか、あるいは何を話さないのかは、その人自身だと思っている。対話を必要とする両者の人となりが伝わり、相互理解の一助となるような、そんな通訳者でありたい。

今月は、こうした想いをあらためて胸に留める月なのかもしれない。

From Hem

今日のベトナム語~水を飲んで源を思い出す

ベトナム語のことわざに、Uống nước nhớ nguồn.(ウオン・ヌォック・ニョー・グォン)というものがあります。私はこれがとても好きで、以前より心に留めていたのですが、最近強烈に思い出すきっかけがあり、そのことを以下に綴ってみます。ことわざの意味も後述。

皆様は『重版出来』というドラマをご存知でしょうか。私はこのドラマが大好きで、2016年の放送時は毎週泣きながら見ていました。出版社を舞台に、漫画雑誌の新人編集者を主人公としたお仕事ドラマなのですが、漫画家、編集者、営業、書店員、漫画家のアシスタント、装丁作家…と、漫画作品にたずさわるさまざまな立場の人に毎回スポットが当たって、一冊の漫画が読者の手に届くまでの長く険しくも、尊い過程が丁寧に描かれています。私は出版業界にいるわけじゃないけれど、言葉や書物にかかわる端くれとして、社会のなかで生きている人間として、共感できたり励まされたりするポイントがたくさんあって、本当に素敵なお話だと感じながら楽しく視聴していました。副編集長役のオダギリジョーさんがたまらなく格好良かったというのも、こっそり書いておきます。

そんな『重版出来』が、最近アマゾンプライムビデオのドラマリストのなかに登場していることに気づき、プライム会員の私は歓喜! 毎日一話ずつ見返しては、内容を知っているにもかかわらず再び涙を流す…そんなハッピーな今日この頃なのですが、最終話で重鎮の三蔵山先生が、弟子で新人漫画家の中田君に語った台詞を聞いて、不意に上述のことわざを思い出したのです。三蔵山先生は、奥様が中田君のために作って差し出したおにぎりを前にこんな話をします。

「ねえ中田君、このおにぎりを一個作るのに、どれだけの水が使われているか知っていますか? 米作りから考えると、270リットルもの水が必要です。それをバーチャルウォーターと呼ぶそうです。最近ネットで知りました。その水にほとんどの人が気づかない。ですが見えない水を想像したほうが世界は広がる。私もまだまだ知らないことだらけです。中田君。君が思っているよりずっと、世界は広いよ」(ドラマ『重版出来』最終話より)

これはまさに Uống nước nhớ nguồn. のことじゃないかと。言いたい内容も比喩で水を使っている点も同じで、私の好きなベトナム語の一文が、これまた好きな物語にリンクしてさらに感動するという。その結果、こうしてやや興奮気味にブログを書いています。

ことわざの意味を見てみます。Uống は動詞「飲む」、nước は名詞「水」、nhớ は動詞「思い出す」、nguồn は名詞「源」(ここでは「水源」のことかと思います)。つまりこの一文は「水を飲んで源を思い出す」と訳すことができて、「自分が今手にしているモノ・コト(例:飲み水)にはすべてルーツ(例:水源)があり、手に届くまでには多くの人がかかわった長い道のりがあって、そのことに想いを馳せよう、恩恵を知ろう」という意味になります(ベトナム語辞典を頼りにしながらの解説です)。先のバーチャルウォーターのお話はこれとよく重なっていて、『重版出来』という物語が全体を通して言いたいことが詰まっているような、最終話にふさわしいエピソードだと感じた次第でした。

私はつい調子に乗って、今ある自分の状況を、得ることのできた経験を、自分自身の力で何でも獲得したような気持ちになってしまうことがあります。そんなことのないように日々戒めているつもりでも、ふとした瞬間にニョキッと現れる思い上がった嫌な自分がいて、恥ずかしくなったり情けなくなったり…。きっとこれからもその繰り返しなのだとは思うのですが、その度に自分に言い聞かせたい言葉として、先のことわざを覚えていたのでした。自分ひとりでできることなんて何もなく、多くの誰かの時間と労力と思いのおかげで私は今ここに生きている。水を飲むたびに水源を思い出せるような、いつでもそんな心を持った自分でありたいと、大好きなドラマを見ながら再び思いました。

もしも『重版出来』を見られる環境の方がいらっしゃったら、ぜひチェックしてみてください。そのときにふと、このことわざも思い出していただけたら嬉しいです。

From Hem

今日のベトナム語~ものもらい

 

右目にものもらいができてしまいました。初めてではないですが、前回患ったときの記憶がないので、かなり久しぶりです。小さな粒が出現、というよりは、まぶた全体が腫れていて、まるで泣きはらした夜の翌朝か、誰かに殴られたかのような様相。ただでさえ小さな目がさらに小さくなり、鏡を見るたびにため息をつきながら、目薬をさす今日この頃…。眼科の先生曰く、暑さで人間の免疫力が低下する一方、バイ菌たちは元気になるこの時期、ものもらいの患者さんはとても多いのだとか。皆さんもお気をつけくださいませ…。

とはいえ、日頃起こらないことが起こるときは、新しい単語を覚えるチャンスと、前向きに捉えることにしています(笑)というわけで、「ものもらい」。知らなったので調べてみると、名詞で lẹo(レオ)とありました。例文としては、以下のような感じでしょうか。ネット上の情報から少々アレンジして引用します。

Mắt tôi bị lên lẹo đã một tuần mà chưa khỏi.(私の目にものもらいができて1週間が経つが、まだ治らない)

ところで、ちょっと検索してみると、lẹo 以外に chắp(チャップ:「プ」はほとんど読まない)という単語もあるらしい。これらがイコールになっている辞書もありましたが、調べてみると医学用語としては区別され、lẹo=「麦粒腫」、chắp=「霰粒腫」のようです。さて、今度は日本語が難しいぞ… ということで、こうして一つの単語をめぐる言葉の調査は続いていきます。私の母語である日本語の理解がないことには、ちゃんと訳すことはできないのだからと、自分を戒めながら。

早く右目の腫れがひくことを願いながら、こうして出会えた新しい単語を今日もまた、頭の片隅にとどめています。

【単語メモ】

mắt(マッ):目

bị lên lẹo(ビ・レン・レオ):ものもらい(麦粒腫)ができてしまう → bị (漢字は【被】)は受動態を作るために動詞の前に置き、ネガティブな受動を表す(ポジティブな受動は được を使用)。lên は動詞で「上がる」、この場合は目に lẹoものもらい)が「出現する、登場する」という意味で使われている様子。

*文 + đã(ダ~)+ 期間:この形で「(文)をしてから(期間)が経過する」の意。

một tuần(モッ・トゥアン):一週間

chưa khỏi(チュア・コ~イ):まだ治らない → chưa+動詞で「まだ~でない」という未完了の表現。 動詞 khỏi は「治る」。

From Hem