ホーチミンへ行ってきました

先週、ホーチミンに行ってきました。ARBAが主催する体験ツアーとベトナム編をご一緒させてもらうためでした。寒い土地から酷暑の土地へと飛ぶので体調が不安だったのですが、現地でたくさん汗を流してデトックスできたのか、すこぶる元気な帰国後の今です。連日35度でしたが、乾季なのにスコールが降る日もありました。

ツアーの詳細はここでは割愛しますが、9月から半年ぶりのホーチミン滞在。わずか半年でこんなに…と驚くほどに街の様子、特に1区中心部の様子が変化していました。街が生きてるみたいって、こういうことを言うのでしょうか。地下鉄工事はどんどん進み、新しいお店やビル・マンションが出現していたり。新しいお店の中には和食レストランもあって、なんだか不思議な気持ちでした。現地の友人もまた「住んでいる私でさえ中心部に行くとビックリよ」と話していました。

それでももちろん、変わらない風景もたくさんあるわけで。半年前の滞在で何度も訪れた緑豊かなタオダン公園には、飼い鳥の美しい鳴き声を堪能しながら珈琲を飲み、談笑をする人々の姿がありました。前回時間をもらって話し込んだ物売りのお姉さんもお元気そうで、これ買いなさいよ攻撃がすごかったです(笑)

美味しいごはんや香り高い珈琲を味わい、元気で明るく日々を楽しむ現地の友人たちの姿を確認すると、本当に、活力をもらえた気持ちになります。これからもこうして、半年に一回ペースでもいいから、訪れることができたらいいなと願っています。

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9/11-12 カントーへ

研修グループで1泊2日のCần Thơ (カントー)旅。バスで揺れることホーチミンから約3時間半。3度目だけど、ひとりじゃないのは初めてだった。中部に来ている台風の影響で雨降りなカントー。思うように散策できなかったのが唯一心残りだ。

翌朝5時から船に乗り、水上マーケットへ。ベトナム語ではChợ nổi(チョ・ノ~イ)=「浮かぶ市場」と言う。売る人、買う人、暮らす人。みなメコン川の上。カンボジア発祥の米麺Hủ Tiếu(フ~・ティウ)の製造工房や果樹園も見学。

カントー出身の、陽気な船頭のおじさん。毎日朝4時に起き、夜7時には寝る暮らしを送っているという。「この仕事は儲かりますか?」の問いに「楽じゃないけど、毎日食べるご飯があるからいいんだ」。この旅で一番印象的な言葉だった。船の上で一瞬意識が飛んだ私が目を覚ますと、「疲れてるんだね」と笑われた。笑顔を絶やさないでいられるその姿が、カッコよかった。

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9/9 研修9日目~統一鉄道でドンナイへ~

ホーチミンから離れる日。ドンナイ省へ向かう。私自身が所属し、本研修のコーディネートを行っているNPO法人ARBAが、長年お付き合いを続けているカトリックの教会を訪問する。

ベンタイン市場前のバスターミナルから12番の路線バスに乗っていくこともできる(約2時間、確か2万ドン)。自分たちだけでバスを貸し切って行くこともできる(約1時間半、お金はかかる)。でもどうしても参加者の皆さんに体験してほしく、サイゴン駅から南北統一鉄道に乗っていくことにした。ベトナムを南北に縦断する鉄道。ハノイ駅までは約35時間かかる。

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お隣ビエンホア駅までの、約40分間の移動。切符はひとり3万ドン。木の椅子、エアコン付きという下から2番目のランクの車両を選択した(さらにテレビも付いていたから驚いた)。この車両には乗客が少なかったが、より下のランクの車両(木の椅子、エアコン無し)には所狭しと人が座っていた。床にゴザを敷いて眠る人の姿もあった。傍ら、あるいは網棚の上の大荷物を見ると、多くが遠方への旅行、あるいは帰省といったところだろうか。彼らは何処まで行くのだろう。

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私この列車がとても好きだ。以前サイゴン駅からハノイ駅まで旅をしたこともあった(その時の旅日記はこちら)。体力気力があるうちにもう一度、これに乗ってゆっくりあちこちを旅してみたい誘惑に駆られた。

ビエンホア駅からはチャーターしておいたバスに乗り込み、教会へ向かった。神父さんから、教会の役割、地域の特性、地域の抱える社会問題などを教えていただいた。いつでも私たちの訪問を暖かく迎えてくれる神父さんには、感謝してもしきれない。

今回伺ったお話のなかでは、近年工業団地が多くつくられているドンナイ省に、さまざまな地域から出稼ぎにやってきた若者たちを対象に、月に一回神父さんが交流会のような場を設けているというお話が、特に印象に残っている。1955年以降に北部からカトリック教徒たちが大勢移住してきたため、ドンナイ省には教会も信者さんも非常に多いが、近年、出稼ぎにやって来る若者たちは必ずしも信仰をしているわけではない。神父さん曰く、彼らは工場で働き給料を得るが、自身の生計を立てるだけでなく実家への仕送りもしているため、生活は非常に厳しい。そんな彼らを月に一回教会に集め、神父さんは彼らの悩みを聴いたり、相談に乗ったり、生きていくうえで大切なことを伝えたりしているという。地方出身者たちの間で、麻薬の服用や人工妊娠中絶といった問題が存在していることが背景にある。「教会は信仰の場であると同時に、地域住民の拠り所でもあります」と神父さんは語っていた。この教会には何度も訪れているが、いつも穏やかな安心感で満ちている。でも、この安心感を築き上げ維持していくことは、私が想像するよりもはるかに大変なことだろう。そうした日々の神父さんの取り組みを、もっと間近で見てみたいとも思った。

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9/5 研修5日目~自由とは自分に由ること~

研修グループとともにレストラン「フーンライ」を訪問。オーナー白井尋さんの経営理念や人生哲学を伺う。白井さんとは長年親しくお付き合いをさせていただいている。ホーチミンに戻ったら必ずお会いしたい人のひとり。

フーンライは孤児や貧困家庭の子どもたちをスタッフに雇用し、白井さんがサービスと英語を教えることで彼らに職業スキルを身に付けさせ、社会に送り出すというトレーニングレストラン。トレーニングではマニュアル的なスキルの教授ではなく(実際にフーンライにマニュアルは存在しないとのこと)、お客さんに丁寧に奉仕することの意義や大切さといった、仕事に取り組む姿勢や精神面でのトレーニングを重視し、スタッフはお客さんから反応をもらうことで自尊心を培う。白井さんが新しく入って来たスタッフに第一に教えることは「姿勢よく立つこと」「お客さんの様子をよく観察すること」だという。

そしてフーンライはベトナムの家庭料理を提供するレストラン。家庭での素朴な味を、観光でやって来た外国のお客さんたちに存分に味わってもらうことを目的としている。メニューに並ぶ料理は確かに特別なものはなく、どの家庭でも日常的に並ぶものばかり。だけど素材を大切にし、とても丁寧に調理されているからだろう、フーンライのお料理は、本当に美味しい(私は焼き茄子のネギ油和えが大好物)。

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この日の白井さんのお話のなかには、フーンライのこと、スタッフたちのことに限らず、私たちが一人ひとりが生きていく上での大切なエッセンスがたっぷり込められていたが、特に印象深かったのが三つ。

*自由とは、自分に由るということ

*感じたことを形容詞で終わらせない

*事象から「感じる」→なぜそうなっているかを「考える」

特に一つめの「自由とは、自分に由るということ」はその後も頭のなかをぐるぐるしている。今もまだ考えがうまくまとまらないが、フリーランスというスタイルで仕事をしている今、私は幸いにも日々「自分に由る」ということを体験している。それは言い換えれば、自分のことは自分で決められるということだ。非常に孤独で、不安で、でもだからこそ自分の価値観を大切にし、同時に他者の価値観を大切にする。自分に由るからこそまわりの協力が必要不可欠で、協働するためには他者への説明や説得が必要ということ。どれだけ忘れずに意識できているだろうか。どれだけ実践できているだろうか。

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9/4 研修4日目~友人との再会~

研修グループがホーチミンにやって来てから初めての、終日ほぼフリーな日。学生さんたちが自分の調査テーマに基づいてそれぞれの活動をする。私は午前にひとり、午後にひとり、ホーチミンに住むベトナム人の友人に会った。どちらも学生さんの調査に協力してくれる人だった。

・午前、Hちゃん。彼女のことは一度このブログでも紹介したことがある(こちら)。一年間の東京留学を終え、今年3月末にホーチミンに戻った。その後もメールのやりとりを続けていたのでお互いの近況はなんとなく知っていたし、久しぶりとはいえ半年しか間が空いてなかったのに、顔を合わせた瞬間に泣きそうになった。彼女が元気でいることが嬉しかった。学生さんのヒアリングにも、とても真摯に丁寧に答えてくれた。

・Hちゃんは私よりも少し年下だ。ベトナム語の慣習から言えば「Chị」と「Em」の関係だが、出会った頃から彼女は私を「Yukiちゃん」と呼び、私も彼女をやはり「ちゃん」付けで呼ぶ。思えば一度も本来の二人称を使ったことがない。彼女が日本語を話すというのも大きく影響しているだろうけれど、そういう友人は珍しい。

・ヒアリングを終え、Hちゃんとお母さんが用意してくれたお昼ご飯をいただく。ベトナム料理は何を食べても本当に美味しいけれど、「おうちのごはんが一番美味しい」と再確認。Hちゃんの口癖は「遠慮しないでもっと食べて」。もはや遠慮をする仲でもないのだが、彼女はお客さんが自然な様子で寛いで、たくさん食べてくれることがとても嬉しいらしい。「Cứ tự nhiên」(自然にしてね)というフレーズはお宅訪問のたびに耳にするが、Hちゃん以上に使う人は私の周りにはいない。

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・ところで私は動物が全般的に苦手である。Hちゃんちに犬がいることをすっかり忘れていたが、この日はHちゃんとの再会の喜びもあり犬への苦手意識を若干克服した。「Ngồi xuống!」 (座れ)、「Bắt tay!」(お手)などの日本語でも発したことのほとんどない指令をベトナム語で出した。犬にはちゃんと伝わった、ような気がする。「Sủa」(吠える)という新しい単語も学んだ。

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・午後、Jさん。英語、日本語、フランス語、中国語に長け、人とのコミュニケーションが好きだというご自身の特性を活かし、長年この地で旅行会社を営んでいる。Jさんとは2009年に私がこの地に暮らし始めたときからのお付き合い。最初は仕事を通じての出会いだったが(シェラトンホテルの高級感溢れるロビーに呼び出され打ち合わせをした時の緊張感をよく覚えている)、その後はプライベートでの交流が続くようになった。

・ガイドとしての仕事に従事しているときのJさんは、あまりぐいぐいとお客さんを引っ張ることはせず、とてもさりげなく丁寧な気配りを見せる。正装なのに、トレードマークにいつも麦わら帽子を携える。一度その不思議を尋ねたことがあったが、「麦わら帽子を持っていればお客さんは私のことが印象づくでしょう、自由行動後の再集合のときに私を見つけやすくなります」と仰っていた。プロとしてのその姿勢が強く印象に残っている。

・この日は仕事モードではなく、休日の、ゆったり過ごしている合間に時間を作ってくれた。プライベートモードのJさんはとても気さくな、ユーモアに満ちたおじ様だ。「J節」とでも呼べるようなジョークも格言もバンバン炸裂。でも決して押しつけがましい感じじゃないから、聞いているこっちもとてもリラックスできる。海パンのような派手な半ズボンを履いていた。「いつもこうじゃないですからね~!」と学生さんに言い訳しているJさんが、なんだか可愛らしかった。

・Jさんは私のことを日本語では「Kimuraさん」と呼び、ベトナム語では「bạn」(同年代の相手に使う二人称)と呼ぶ。40代半ばのJさんは、私にとっては「Chú」(おじさんにあたる二人称)または「anh」(お兄さんにあたる二人称)が妥当で、私は親しみを込めて「anh」と呼んでいる。彼にとっての私も同様に「con」(娘にあたる二人称)か「em」(妹にあたる二人称)が使われるのが通例だと思うのだが、彼は決して私をそうは呼ばない。「Kimuraさんは私の友達ですから」と幾度となく言ってくれるその笑顔に、私がどれだけ感謝の気持ちを覚えているか、彼には伝わっているだろうか。

本来の二人称を使わない特別な友人たちとの再会。だから私はまたこの地を訪れたい。

ちなみにこの日は、Jさんのおすすめのカフェが店を畳んでしまっていたために急きょその近くのマクドナルドで会うことになった。注文したアメリカンコーヒーは日本のコンビニで売られている百円コーヒーのような味だった。もちろんこれはこれで嫌いではないが、この地ではカフェスアダーを飲んでいたい。

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