シンチャオ アンドー

≪訳者より≫ JICAの専門家として長年ベトナム各地で観光を通じたまちづくりを行い、現在は山梨県立大学で観光学を教える安藤勝洋さん。その活動の様子が、2019年1月24日付のゲアン新聞に掲載されました。安藤さんが現地の方々を大切に想い、現地の方々から愛されている様子が伝わってくる心温まる記事を、このたびご本人の協力を得て翻訳させていただきました。

XIN CHÀO ANDO / シンチャオ アンドー

 旧正月前の数日間、安藤勝洋はゲアン省コンクオン郡のヌア村へと戻った。安藤が通ると、忙しく仕事をしていたターイ族の人々はその手を止め、嬉しそうな声を上げた。

 「シンチャオ、アンドー!」 

 安藤は、これがゲアン省の人々との最後のあいさつになるかもしれないことを知っていた。後ろ髪を引かれる思いだったが、彼はまもなく故郷日本への帰国便に乗り、長年に渡るこの地での仕事を終えることになっていた。

 安藤とベトナムとの関わりは15年前からになる。JICAが展開する文化・観光プロジェクトの専門家として、ベトナムの約40の省都市に赴き、有名な遺産や自然のある省都市ほぼすべてに足を運ぶ機会を得た。彼はホイアン旧市街(クアンナム省)、フックティック村(トゥアティエン=フエ省)、カイベー郡(ティエンザン省)、ドゥオンラム村(ハノイ市)の古民家などの「眠っていた」遺産を「目覚めさせる」事業を実施した。2014年にはJICAの協力を受け、「ヘリテージツーリズムによる辺境農漁村の生計多様化プロジェクト」を展開するため、ゲアン省に赴いた。

 「ゲアンに行く前、友人達から、この地の習慣や人々の厳格な性格について教えてもらいましたが、ゲアンの人々の印象は最初から最後まで、私のなかではとても美しいものでした。彼らは友好的で、誠実で、親切でした」。安藤はこう話す。この頃、彼はクエフォン郡、クイチャウ郡、コンクオン郡など多くの地域で観光の潜在性を調査していたが、最終的にコンクオン郡を選んだ。

 安藤によれば、この地は観光資源としての価値が非常に高いだけでなく、地方行政の観光発展への意欲も高く、村人達は予想もしない豊かなアイデアを持っていた。地理や交通面での利便性も、コンクオン郡が選ばれた要因だった。「最後は自分のちょっとした閃きです。初めて足を踏み入れたときから、私はコンクオンが好きでした。風土も人も、美しいのです。第一印象から、将来この地域の観光は発展するだろうと信じていました」。

 コンクオン郡の観光について尋ねると、一日語り尽くしても足りないと安藤は答える。2014年に安藤がこの高原地帯に赴いたとき、この地はUNESCOの支援により、コミュニティ観光についての意識が芽生え始めていた。しかし村々の住民達はまだ、観光が人生を変え、より豊かな暮らしをもたらしてくれるとは信じていなかった。「そのことを見つけてもらうために、私は本当の意味で彼らの友人や家族になって、彼らの暮らし、考え方、風習を理解しなければなりませんでした」。その頃から、彼はコンクオン郡イェンケー町ヌア村を滞在先として選び、地元住民達と3つのことを共にした。共に食べ、共に暮らし、共に働くことだった。

 この山麓での年月を経て、安藤は大通りや路地裏にもすっかり詳しくなった。稲穂が実る季節にノンラー(菅笠)をかぶり、鎌を握って田んぼに浸かって、稲を肩に担ぎ起伏ある山道を歩いた。水位が上がる季節には、村人達と共に泉に行ってオタマジャクシをすくい、川に下りて魚を捕まえた。彼は仲間達が食べるものを食べるように努め、固く冷たい床で寝起きし、泉や川で水浴びをした。この地の仲間達の暮らしに懸命に深く溶け込んでいったある日、彼は、自分が彼らに受け入れられていると感じた。「ヴィン市からヌア村に再び戻ったある日、道を歩いていると、『アンドー!』と呼ぶ声が聞こえました。それから、『シンチャオ、アンドー!アンドー、戻ったのー?』と。私はとても驚いて、本当に感動しました」。

 その頃から、村人達は安藤の話すことに耳を傾け始めた。安藤は地方行政と協力し、村人40名を連れてマイチャウ(ホアビン省)を訪れ、コミュニティ観光を体験してもらった。その後は日本の著名な料理人や観光の専門家をヌア村に招き、村人達にコミュニケーションやサービスのスキル、見栄えも衛生的にも良い料理の盛りつけ方などを指導してもらった。安藤によれば、コミュニティ観光に訪れる観光客は誰しも、その土地の特産物や特別な文化を体験したいものだという。観光客はホテルに泊まる代わりに高床式住居で眠りたくて来るのだし、5つ星ホテルのビュッフェの代わりにコムラム(竹のおこわ包み)、カーマット(川魚)、カィンオット(山草のスープ)、モック(ちまき)を食べてみたいのだ。アルミの皿、陶器の茶碗、ステンレスの箸ではなく、バナナの葉を皿にし、木の茶碗に取り分け、竹の箸を使うことを体験したいのだ、と。

 コミュニティの暮らしにおいて、古くから存在する習慣を変えるのは容易ではない。そのことを知っているからこそ、忍耐強くいなければならないと、安藤は常に自分に言い聞かせた。村人達が考え方、働き方を変えていくよう後押しする過程と並行して、彼は省内外の旅行会社がヌア村に来るように連携を図り、ツアーを組んで集客に努めた。この地域にやって来る観光客の数は次第に増え、村人達を励まし、喜びをもたらした。彼らは徐々に、自分達の故郷における観光の未来を信じるようになった。そしてJICAが3つの民家をホームステイ先に選び支援したのをきっかけに、他の多くの世帯もそれに続こうと資金を出すようになった。

 ファー村においてもまた、観光客に体験してもらえるよう、収穫の時期にオレンジ農園を開放することに、村人達は非常に協力的だった。専門家の指導を仰ぎながら、エッセンシャルオイル、酒、石けん、ドライフルーツといったオレンジの加工に着手することにも、彼らは積極的だった。2018年までには、ヌア村とファー村の23世帯が観光事業に参加した。彼らの多くはこれまで農業で生計を立てていたが、現在の主な収入は観光事業からとなった。

 安藤は強調する。もしも地方行政の決意と強い協力がなければ、どんな専門家でもこのようなことは実現できなかっただろうと。「コンクオン郡の行政からは、観光の発展に対する渇望と、惜しみない投資がありました。そのおかげで、わずか数年の間に、遠方からの観光客にも近場からの観光客にも、ゲアンと言えばコンクオンを、コンクオンと言えばコミュニティ観光をすぐに思い浮かべてもらえるようになりました。このことで、ゲアン省を観光地としてブランド化するための、ひとつの道を示せたと思います」。

 ゲアン省での4年間、その多くをコンクオン郡での時間に割き、地域への理解はとても自然な形でこの若き専門家の心に浸透していった。安藤は話す。毎朝目を覚ますとそこには雄大な自然が広がっていて、霞んだ山頂から朝日が昇り夜が明けるのを眺めていると、まるで自分の故郷にいるような幸せを感じる。彼は思う。きっと日本に帰国後は、長い道のりを運転するときも、賑やかな通りを歩くときも、建ち並ぶ高層ビルを見上げるときも、村での暮らしを思い出して心が揺さぶられるだろう。稲穂が黄金に輝く、曲がりくねった田んぼ道をゆったりと歩いていると、どこからともなく聞こえてきた、あの楽しそうな声を思い出して。

「アンドー !シンチャオ、アンドー!」

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原文:Phước Anh / フォック・アイン
翻訳:木村友紀
翻訳協力:安藤勝洋
掲載:Báo Nghệ An / ゲアン新聞(2019年1月24日)
https://e.baonghean.vn/xin-chao-ando/
※訳者注:Xin chào(シンチャオ)は「おはよう、こんにちは、こんばんは、はじめまして、さようなら」など、多くの場面で使えるベトナム語のあいさつ。

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