元は中国の故事成句で、ベトナム語のことわざにもなっている “Uống nước nhớ nguồn“(ウオン・ヌォック・ニョー・グォン)。私はこれがとても好きで、以前より心に留めていたのですが、最近強烈に思い出すきっかけがあり、そのことを以下に綴ってみます。ことわざの意味も後述。
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皆さんは『重版出来』というドラマをご存知でしょうか。
私はこのドラマが大好きで、2016年の放送時は毎週泣きながら見ていました。出版社を舞台に、漫画雑誌の新人編集者を主人公としたお仕事ドラマなのですが、漫画家、編集者、営業、書店員、漫画家のアシスタント、装丁作家…と、漫画作品にたずさわるさまざまな立場の人に毎回スポットが当たって、一冊の漫画が読者の手に届くまでの長く険しくも、尊い過程が丁寧に描かれています。
私は出版業界にいるわけじゃないけれど、言葉や書物にかかわる端くれとして、社会のなかで生きている人間として、共感できたり励まされたりするポイントがたくさんあって、本当に素敵なお話だと感じながら楽しく視聴していました。副編集長役のオダギリジョーさんがたまらなく格好良かったというのも、こっそり書いておきます。
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そんな『重版出来』が、最近 Amazon Prime Video に登場していることに気づき、プライム会員の私は歓喜! 毎日一話ずつ見返しては、内容を知っているにもかかわらず再び涙を流す…そんなハッピーな今日この頃なのですが、最終話で重鎮の三蔵山先生が、弟子で新人漫画家の中田君に語った台詞を聞いて、不意に上述のことわざを思い出したのです。三蔵山先生は、奥様が中田君のために作って差し出したおにぎりを前にこんな話をします。
「ねえ中田君、このおにぎりを一個作るのに、どれだけの水が使われているか知っていますか? 米作りから考えると、270リットルもの水が必要です。それをバーチャルウォーターと呼ぶそうです。最近ネットで知りました。その水にほとんどの人が気づかない。ですが見えない水を想像したほうが世界は広がる。私もまだまだ知らないことだらけです。中田君。君が思っているよりずっと、世界は広いよ」(ドラマ『重版出来』最終話より)
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これはまさに “Uống nước nhớ nguồn” じゃないかと。言いたい内容も比喩で水を使っている点も同じで、私の好きなベトナム語の一文が、これまた好きな物語にリンクしてさらに感動するという。その結果、こうしてやや興奮気味にブログを書いています。
ことわざの意味を見てみます。
Uống は動詞「飲む」、nước は名詞「水」、nhớ は動詞「思い出す」、nguồn は名詞「源」。つまりこの一文は「水を飲んだら源を思う」と訳すことができて、「自分が今手にしているモノ・コト(例:飲み水)にはすべてルーツ(例:水源)があり、手に届くまでには多くの人がかかわった長い道のりがあって、そのことに思いを馳せよう、恩恵を知ろう」という意味になります(ベトナム語辞典を頼りにしながらの解説です)。先のバーチャルウォーターのお話はこれとよく重なっていて、『重版出来』という物語が全体を通して言いたいことが詰まっているような、最終話にふさわしいエピソードだと感じた次第でした。
私はつい調子に乗って、今ある自分の状況を、得ることのできた経験を、自分自身の力で何でも獲得したような気持ちになってしまうことがあります。そんなことのないように日々戒めているつもりでも、ふとした瞬間に現れる思い上がった嫌な自分がいて、恥ずかしくなったり情けなくなったり。きっとこれからもその繰り返しなのだとは思うのですが、その度に自分に言い聞かせたい言葉として、先のことわざを覚えていたのでした。自分ひとりでできることなんて何もなく、多くの誰かの時間と労力と思いのおかげで私は今ここに生きている。水を飲むたびに水源を思い出せるような、いつでもそんな心を持った自分でありたいと、大好きなドラマを見ながら再び思いました。
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もしも『重版出来』を見られる環境の方がいらっしゃったら、ぜひチェックしてみてください。そのときにふと、このことわざも思い出していただけたら嬉しいです。
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