私はテレビドラマが大好きで、毎期けっこうな数を観ています。これは私にとって本来リラックスできる、自宅での大切な余暇時間なのですが… 7月24日(金)に放送されたTBSドラマ「MIU404 機動捜査隊」の第5話は、胸が締め付けられる思いで視聴することになりました。以下にはその感想を綴っていますが、ネタバレを含みます。そして長いです。あらかじめご了承ください…!
■丁寧に描かれた外国人問題
テーマは日本に暮らす外国人労働者の問題。ベトナム人女性マイが重要な役どころを担っていて、演じたフォンチーさんもベトナム人俳優の方でした(日本生まれ日本育ちで、本来は日本語がとても堪能な方みたいです)。近年、日本のドラマ、特に刑事ドラマでこうした外国人労働者問題が取り上げられることは増えてきましたが、今回の「MIU404」ほどこの問題に深く切り込んだ作品はなかったのではないかと感じました。
技能実習生の失踪問題(5年間で延べ2万6000人の失踪者という数字も登場)や、送り出し機関と監理団体の黒い関係。「留学生」という名の出稼ぎ労働者たちと、彼らが本来働ける週28時間の壁を超え、ダブルワークやトリプルワークをしているという実態。もちろん、素晴らしい雇い主や良い労働環境に恵まれた技能実習生も、熱心に勉学に励んでいる留学生の方もたくさんいます。しかしながら、劣悪な環境から逃げずにはいられない、来日前に背負った借金の返済のために過重に働かなければならない、こうした困難な状況に置かれた外国人たちがいるのは事実であり、そんな彼らに気づかずにいるか、気づいても目を瞑ってしまう私たち日本人がいるのもまた事実です。
私はこれまでの仕事の中で、実際に失踪し、身を潜めるように生きてきた技能実習生たちに出会い、通訳という立場で彼らの話を聞いてきました。もちろんドラマですから、良くも悪くも多少の誇張はあると思いますが、今回の物語の中には、細部にわたって現実の問題が十分に反映されていて、私にとっては決して他人事にはできない内容でした。最後に特定技能に触れられていたのも良かったです。
ドラマのレビューについては、PlusParaviに掲載されたこちらの記事が素晴らしかったので、ご参考までに。
■ベトナム語への真摯な姿勢
ところで、今回の「MIU404」が素晴らしかったのにはもう一つの側面があります。それはベトナム語に対する、製作陣のみなさんの真摯な姿勢でした。私はテレビの前で心底感激しました。特にベトナムが舞台になっているわけではない作品で、こんなにもベトナム語が丁寧に扱われ、物語の重要なパーツとなっているドラマを、少なくとも私は見たことがありませんでした。
例えばマイや志摩(星野源さん)が発する「タイサオ」という単語。こちらは Tại sao?「なぜ?」という意味のベトナム語で、物語のさまざまな場面で、時に軽妙に、時に重い意味を帯びて登場しました。
他にもベトナムでは「3」が不吉な数字であり、「9」がラッキーナンバーであること。ドラマ内でその理由までは説明されませんでしたが、一説によれば、「三」(漢越語 tam/タム)は「惨」(漢越語 thảm/ターム)を連想するため、「九」(漢越語 cửu/クー)は「久」(cửu)と同じ単語であるためと言われています。ちなみに漢越語とは漢字由来のベトナム語。現在、数字は主に純越語=漢字に由来せずベトナム語として元々存在する単語が使われており、3=ba(バー)、9=chín(チン)と言います。ベトナムビールの333(バーバーバー)は足して9となり、ラッキーナンバーを商品名にしているのです(こちらの記事も参照させていただきました)。
そういえば、これも直接的に言語のことではありませんが、マイとその同居人の履歴書を調べているときに、それぞれの出身地が北部の Hải Dương(ハーイズオン)と南部の Bến Tre(ベンチェー)であったことも、妙にリアリティがあって、製作陣のみなさんが入念な調査をされていることがうかがえます。
なかでも秀逸だったのは、水森(渡辺大知さん)がSNSでコンビニ強盗を呼びかけるフレーズ。
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Dùng bất công bình trả lại bất công bình.
「理不尽には理不尽で返せ」
Chúng ta có quyền cướp số tiền đó.
「俺たちには金を奪う権利がある」
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劇中で指摘されていたように、「理不尽」という単語は本来 bất công(漢越語で「不公」/バッコン)であるところ、我流でベトナム語を学んだという水森はこれを bất công bình(バッコンビン)と誤って書き、犯人はネイティブではない?→日本人?という推理につながります。
bất công bình は存在しない単語ですが、あえて漢字に置き換えると「不公平」。日本語とベトナム語に共通する漢字という概念をヒントに、逆算するようにベトナム語を検討するのは、日本人学習者に特有の発想と言ってもいいでしょう(私も時々やります)。そんな「ナチュラルな間違い」を入れてきたところに、本作の脚本が非常によく練られていることを感じました。さすが野木亜紀子さん(以前から大好きです)。神は細部に宿るとはこういうことだと思いました。
最後に、これは私の勝手な印象ですが。水森を演じた俳優・ミュージシャンの渡辺大知さん、ベトナム語の台詞をものすごくたくさん練習されたんじゃないかと思います。ベトナム語は発音が複雑な言語。何と言いますか、「音のストライクゾーン」がとにかく狭くて、ルール通りに発音をしないとなかなか通じません。ドラマの終盤、水森が日本語とベトナム語を交互に叫ぶシーンでは、涙を流しながらも、あんなに大声を出しながらも、きちんと聞こえるベトナム語でした。それはとてつもなく悲しい台詞だったけれど。
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Người nước ngoài đừng đến Nhật!
「外国人は日本に来るな!」
Không được đến Nhật!
「日本に来ちゃいけない」
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過去に他のドラマでベトナム語がぞんざいに扱われるのを見て悲しくなったことがある身としては、水森の悲痛な叫びにこんなにも胸が苦しくなったのは、物語の運びや現実とのリンクはもちろんのこと、渡辺大知さんの演技とそのベトナム語によるところが大きかったです。
ドラマでベトナム語ができる限り自然な形で物語の一部となっていたことは、それだけ多くのベトナム人が現実に日本に住んでいるという背景があるからこそ。日本のドラマが、メディアが、外国語に真摯に向き合うということ、それはつまり、外国人をこの社会の一員して受け入れることと同義と言えるのではないかと、視聴しながら考えていました。私たちがベトナム語を学び、知る意味もここにあると思います。外国語を知ることは、その国の人を、目の前の相手を知ることだと信じています。