映画『海辺の彼女たち』を観て

幸運にも、2023年のうちに二回鑑賞できた映画『海辺の彼女たち』について、Instagramからの転記∔αですが、記録しておこうと思います。

一回目は、9月に横浜にて。

2021年の公開当時から気になっていて、でもずっと観られていなかった作品。いつか配信で…なんて悠長に構えていたのですが、偶然にも映画関係者の方とお話する機会があり、配信やDVD化の予定はないことを聞き、ベトナム映画祭2023の一環として横浜シネマリンで上映していた期間の最終日に滑り込んできました(※自主上映のために作品の貸出を行っているそうです。詳しくは本作品の公式HPをご覧ください)。

主人公は、技能実習生として来日した3人の若いベトナム人女性。実習先での冷遇に耐え切れず、パスポートも在留カードも雇い主に預けたまま脱走し、ベトナム人ブローカーの手配により遠く離れた海辺の町で漁業の仕事に就く(=不法就労者となる)も、3人のうちの1人が突然体調不良に見舞われ、病院受診のために偽造の身分証を購入して…と展開する物語です。

私は2015年以降、通訳の仕事を通して、失踪したベトナム人技能実習生たちの声を直接聞く機会を得てきました。もちろん良心的な実習先も多数あることを重々承知していますが、そうではない場所があり、逃げ出したいほどの苦痛と困難を抱えている実習生がいるのもまた事実です。だから、この映画が取材をもとにしたフィクションではあるものの、限りなくノンフィクションに近い設定であることをひしひしと感じました。この3人の女性が本当に日本のどこかに存在していて、苦悩しているように思えてなりませんでしたし、実際、映像の雰囲気や俳優陣の演技も、まるでドキュメンタリーを観ているように自然で臨場感がありました。

映画のラストには「ここで終わるのか」と愕然とし、モヤモヤした気持ちを抱えて帰路につくことになりましたが、観た人がこうしてその後の彼女たちの人生に思いを馳せ、技能実習生制度の是非を考え問い続けることにこそ、この映画の存在意義があるのだとも感じました。観た人とこの映画について話し合いたい、感想を聞いてみたいと思わされ、製作した方々が自主上映会を重んじている理由も少しわかったような気がしました。

余談ですが…。本作は日本を舞台にしているものの、全編を通して台詞のほとんどがベトナム語であるため、日本語字幕(縦)と英語字幕(横)が同時についていました。とある場面、主人公の1人が “Đi đi!” と言い、英語字幕が “Let’s go!” と出たところ、日本語字幕は「行くわよ」となっていて。「わよ」は必要なんだろうか、「行こう」じゃダメなんだろうかと、ふとそんなことも考えてしまいました。

二回目は、12月末に甲府にて。

哲学カフェ「すみっこやまなし」さんの企画で、市内で上映会が開かれることを知りました。映画館の少ないこの地で、まさかこんなにも馴染みのある場所でこの映画を鑑賞できると思っていなかったし、しかも、哲学カフェだなんて。勝手にご縁を感じてしまいすぐに参加を決めました。

作品自体は何度見ても苦しくなる内容ですが、今回は上映後に他の方々と感想をシェアできる場があり、貴重な時間を過ごせました。外国人技能実習制度の切り口に、共生社会、個人の尊厳へと話が繋がっていく中で、一度目の鑑賞から感じていたモヤモヤを言葉にできたのもありがたかったし、あるシーンに対する受け取り方が見る人によって全く違う…というのも興味深かったです。

あえて結論や正解を出そうとしない会の在り方が心地よく、そして、移り住んだ山梨の地で、仕事以外の場でこんなにもベトナムの話ができたのは初めてで、とても嬉しかったです。